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まえがき
9月15日に死去した女優の樹木希林さんの密葬が17日、都内の斎場で営まれ、夫でミュージシャンの内田裕也さんも参列しました。
黒スーツに黒いハット、メガネ姿で斎場を訪れた裕也でしたが、車椅子でしたね。
なので、内田裕也さんの経歴や付けていたバッチについて気になったので調べてみました。
みなさん一緒に確認していきましょう!
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内田裕也さん 亡くなる直前に電話 樹木さん見送る
9月15日に死去した女優の樹木希林さんの密葬が17日、都内の斎場で営まれ、夫でミュージシャンの内田裕也さんも参列しました。
黒スーツに黒いハット、メガネ姿で斎場を訪れた裕也でしたが、車椅子でしたね。
終始うなだれた様子だったそうですが、荼毘(だび)に付された際は遺骨を拾い、きりんさんを見送ったそうです。
女性スタッフの方が「(裕也さんは)ショックを受けていて、気持ちを整理して後ほどコメントします」と話したんですね。
車椅子姿の祐也さんを見るのは初めてなのでビックリしました。個人的にも何度かお見かけしたことがあるのでちょっと寂しいですね。
樹木さんの容体が急変した14日深夜、親族が別居中の裕也に電話で連絡し、声が聞こえるようにスピーカーをオンの状態にして見守ったそうです。
裕也さんは、次第に意識が薄れていく樹木さんに名前を呼ぶなど言葉を掛け続けたそうです。樹木さんはそれから程なくして、息を引き取ったんだそうです。
やはり別居を続けていらしたんですね。一緒に暮らすという選択肢はなかったんですね。
祐也さんが密葬に参列した際に左胸に付けてたバッチありました!
ちょっと気になったので調べてみました。
祐也さんが密葬に参列した際に付けてたバッチとは?
祐也さんが密葬に参列した際に付けてたバッチには。
「How about no!」と書かれてました。
調べてみると、日本語訳すると「あり得ない!」という意味らしいです。
「希林さんが先に逝くなんて、あり得ない!」という思い出はないでしょうか?
「ちょっとコメントは、落ち着くまで待ってほしい」気持ちもわかりますね。
内田 裕也さんのプロフィール

引用元:uchidayuya.com
名前 内田 裕也(うちだ ゆうや)
生年月日 1939年11月17日
出身 兵庫県西宮市
出身校 大阪府立三国丘高等学校
- 1958年、自身がバンドマスターのブルージーン・バップスを結成
- 1959年、大手芸能事務所である渡辺プロダクションに所属し、同年に日劇ウエスタンカーニバルへ初出場する
- 1960年、かまやつひろしなどとサンダーバードへ参加するが、ジャズ志向が強いバンドであったため脱退
- 1962年、寺内タケシとブルージーンズにヴォーカリストとして参加する
- 1963年、恩地日出夫監督の『素晴らしい悪女』に映画初出演
- 1969年、1月にフラワーズのデビュー・シングル「ラスト・チャンス」、「チャレンジ!」が発売されるが、志とは裏腹にセールスには繋がらなかった。
- 1979年1月、妻の樹木さんが『ムー一族』の打ち上げパーティーの席上、番組プロデューサーの久世光彦氏と番組出演者の不倫を暴露し騒動となる。騒動を聞きつけた内田さんはパーティー会場へ乗り込もうとするが、入店を断られたため店員と押し問答となった揚句、パトカーが出動する騒ぎを起こした!?
- 1981年、離婚届を区役所に提出するも、樹木は離婚を認めず、訴訟となり、離婚無効との判決が下る。
なかなか私の世代でも内田さんの活躍を知ってる人は少ないですね。
内田さんは広い人脈があったので、裏方的な役割を志向してたみたいですが、なかなか事務所との軋轢でうまく行かなかったみたいです。
私が気になったのは、1979年1月の『ムー一族』の打ち上げパーティー事件ですね。そこに内田さんが駆けつけたなんて初めて知りました。
やはり奥さんのことを愛していたんですね♪
今更ですがかなり大事だったようです。
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「内田裕也さん 亡くなる直前に電話 樹木さん見送る」」について一般のコメントは?
ある意味、素敵な夫婦に感じますね♪
まとめ
9月15日に死去した女優の樹木希林さんの密葬が17日、都内の斎場で営まれ、夫でミュージシャンの内田裕也さんも参列しました。
黒スーツに黒いハット、メガネ姿で斎場を訪れた裕也でしたが、車椅子でしたね。
なので、内田裕也さんの経歴や付けていたバッチについて気になったので調べてみました。
祐也さんも少し時間がほしいところだと思います。
落ち着いたらまた希林さんについてたっぷり語ってほしいですね。
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