桑田真澄が憧れ続けた天才は誰?壮絶人生&知られざる感動秘話【消えた天才】




まえがき

5月26日放送のTBS「消えた天才」(日曜後20:00~)は【元巨人・桑田真澄の野球人生を変えた悲劇の天才ピッチャー】です!

 

桑田さんが憧れ続けた天才は、PL学園の1歳上のピッチャーだった!?

 

その天才投手は大学に進学後、ある悲劇で野球界から姿を消したんだとか。

 

なので、桑田真澄さんの野球人生を変えた悲劇の天才ピッチャーが誰で二人の絆について気になって調べてみました。

 

みなさん一緒に確認していきましょう!

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5月19日放送のTBS「消えた天才」の内容?

引用元:tbs

 

5月26日放送のTBS「消えた天才」(日曜後20:00~)は【元巨人・桑田真澄の野球人生を変えた悲劇の天才ピッチャー】です!

 

桑田さんが憧れ続けた天才は、PL学園の1歳上のピッチャーだった!?

 

その天才投手は大学に進学後、ある悲劇で野球界から姿を消したんだとか。

 

なんか、聞いたことがありますがよくわからないまま…。

 

「桑田よ、俺を殺してくれ…」と懇願するぐらいの悲劇と壮絶な人生!

 

最近フジテレビ系ドラマ「パーフェクトワールド」を見ているので、聞いただけで涙腺がゆるくなりますね。

 

30年に渡る天才と桑田の知られざる絆のドラマも明らかになるそうです!

 

その天才とは一体誰でしょうか?

 

 

桑田真澄が憧れ続けた天才は?

桑田真澄が憧れ続けた天才の名は、清水哲さんです。

 

守口市立八曇中学校時代は、準硬式野球大阪府下大会で2年連続優勝投手となります。

 

私立PL学園高等学校に進学し、桑田・清原の1年先輩で甲子園春・夏の大会で準優勝します!

 

日本高校野球選抜日韓親善試合の韓国遠征メンバーに選ばれ活躍します。

 

当時のPL学園は、桑田・清原もいましたが、チームには逸材が勢揃いの高校としてはオールスターチームです。

 

同志社大学に進学し、一回生から活躍!

 

しかし、悲劇が起こります。

 

関西学生リーグの公式戦、対近畿大学との試合中に、二塁へヘッドスライディングを試みた時に相手のショートと激突して首の骨を折ってしまいます。

 

近畿大学付属病院救命センターで手術が行われ命を取り留めましたが、かなり危険な状態だったみたいです。

 

9ヶ月後、リハビリの為に星が丘厚生年金病院へ転院、1年2ヶ月後からは不治の為自宅療養になる。

 

車椅子の生活になるんですね。

 

8年後にお父さんが脳梗塞で倒れ、今まで世話をしてくれていたお母さんがお父さんの看病をすることに。

 

清水さんの世話をできる人がいなくなった為、病院を転々としながら一人暮しの準備を始めたそうです。

 

現在は、枚方市の社会資源だけで一人暮しをしているそうです。

 

結婚されたという情報もあります。

 

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30年に渡る天才と桑田の知られざる絆のドラマは?

「桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう」(ゴマ書房)1994年を出版します。

 

口にくわえたスティックでパソコンのキーを打ち、出来上がるまでに9年かかった著作です!

 

それだけでも価値のある、思いのこもった本ですね。

 

「桑田よ、俺を殺してくれ…」と叫んだときもあったんだとか。

 

壮絶な人生だからこそ、それを支えた人への感謝も大きいんでしょう。

 

まだまだ知られてない秘話が飛び出しそうですね。

 

後は番組で確認しましょう!

 

桑田さんが、清水さんの分も頑張ること。

 

清水さんの代わりにプレーしているんだと。

 

オールラウンドプレーヤーだった清水さんのように、桑田さんもボールに飛び込んだり必死にプレーを心がけたそうです。

 

そのために桑田さんは大けがもしましたが、それ以上の清水さんとの絆があったんですね。

 

PL学園OBの野球大会があるんですね。

 

その監督を清水さんがやったんです!

 

ユニホーム姿が最高に似合ってました。

 

ご本人も最高の笑顔でしたね♪

 

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清水哲さんのプロフィールは?

引用元:be-power

 

名前清水哲(しみずてつ)
生年月日1966年4月9日
身長171cm
出身大阪府守口市
出身校私立PL学園高等学校

 

 

 

桑田真澄さんのプロフィールは?

引用元:life-is-art-18

 

名前桑田 真澄(くわた ますみ)
生年月日1968年4月1日
身長174cm
出身地大阪府八尾市
血液型AB型
出身校八尾市立大正中学校 私立PL学園高等学校
所属元読売ジャイアンツ

 


 

  • 小学3年生からはボーイズリーグの八尾フレンドに所属。

 

  • 1980年4月、八尾市立大正中学校に入学し、野球部に所属。

 

  • 1981年、中学2年時に第32回大阪中学校優勝野球大会で優勝した守口市立八雲中学校(エースは清水哲さん)に0-1で惜敗。

 

  • 1982年、中3時に出場した春の中河内地区大会、大阪府大会、八尾市大会、第33回大阪中学校優勝野球大会の全てを制覇!

 

  • 進路方針等で学校側と問題に発展したため、中3の三学期に八尾市立成法中学校に転校し、卒業する。

 

  • 1984年、2年生での春のセンバツ、夏の甲子園はいずれも決勝で敗れ準優勝。

 

  • 1985年、3年生の春のセンバツはベスト4、夏の甲子園は決勝戦で宇部商業高校を下し優勝。

 

  • 1985年、プロ野球ドラフト会議で巨人から1位指名を受け入団。

 

  • 1986年5月25日、中日ドラゴンズ戦でプロ初登板。6月5日の阪神タイガース戦で初勝利を初完投で飾る。

 

  • 1989年、斎藤雅樹、槙原寛己と共に3人の先発の軸として使われ「三本柱」と称される。

 

  • 1994年、14勝11敗、防御率2.52、奪三振185の成績を挙げ、最多奪三振のタイトルを獲得。セ・リーグ最優秀選手 (MVP) に選出。

 

  • 1994年、10.8決戦では3イニングを無失点に抑えてセーブを挙げる。

 

  • 1995年5月24日、阪神タイガース戦で右肘を強打、後の検査で側副靭帯断裂の重傷と判明。

 

  • 2000年、不振の投球が目立ち6月半ばには先発から外され5勝8敗の成績で終わる。

 

  • 2006年、21年間在籍した巨人に別れを告げる。

 

  • 2006年12月20日、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶことが発表。

 

  • 早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースに合格。

 

  • 2010年3月25日、首席で修了し、本作で最優秀論文賞を受賞。

 

  • 2019年1月12日、PL学園硬式野球部OB会長に就任。2月22日、スポーツ庁参与に就任。

 

中学時代から「桑田の球はファウルにするのがやっとという有様で、負けて悔しいというよりも、あまりの力の差に唖然とさせられるばかりだった」と相手から言われたそうです。

 

中3のときに進路でもめて転校したんですね!恐らく学校凄い選手だから学校の思惑もあったんでしょう。最終的にPL学園に行ったんですね。

 

ドラフトのときや野球賭博の件では、かなり社会的な話題になりました。

 

野球選手としての終盤は、ファンとしてはもっと華やかに終わってほしかった思いがありますね。

 


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まとめ

5月26日放送のTBS「消えた天才」(日曜後20:00~)は【元巨人・桑田真澄の野球人生を変えた悲劇の天才ピッチャー】です!

 

桑田さんが憧れ続けた天才は、PL学園の1歳上のピッチャーだった!?

 

その天才投手は大学に進学後、ある悲劇で野球界から姿を消します。

 

首を骨折して、車椅子の生活になってしまったんです。

 

プロ野球を目指していた清水哲さんにとっては地獄のような人生です!

 

でもそれを救ってくれたのは後輩の桑田さんだったんですね。

 

感動の秘話については番組で確認しましょう!

 

個人的に桑田さんのファンですが、少しダークな噂もありましたよね。

 

昔はSNSもなかったので、本当のことがわかりにくかった。

 

スポーツ紙やワイドショーで報じることが真実だと思ってました。

 

人間・桑田真澄を知ることができると思います。

 

今後もご活躍を期待しております!

 

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